「守ろう!心の健康」講座   −うつを知り、ゲートキーパーになるためにー

自殺が年間3万人超、もう14年連続となっています。こんな状況を改善するためにゲートキーパーは生まれました。

自殺を防ぐために、支える人を世の中に増やすことを目的とする講座を行います。

1.  情報提供を行います。

2.  簡単なスキルを体験できます。

詳しくは下記チラシをご覧ください。

1月16日の模様はブログにて公開中

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011/5/23

福島第一原発周辺被災地 現地支援及び視察報告

リ・プロデュース・タンザワ

SCAN若葉

報告 丹澤 潔

 

 

支援及び視察団の目的

福島第一原発から約30キロ離れた福島県いわき市。その中で最も福島原発に近い地区「久乃浜」の復旧が遅れている。地震+津波+火災+放射能リスクに苦悩する住民の方々のニーズヒアリング調査を地元の方々と協力して実施しつつ、もともと久乃浜と「海と山の交流」がある母畑温泉のまち石川町に宿泊して両地域を支援する。さらに、いわき市のボランティアや被災地の方々との交流を通じて、現地で何が起こっているのかを体感し、現地の支援体制づくりの一助となることを目指す。また、浜岡原発に代表される今後起こりうる津波や原発の災害対策を勉強する機会にも位置付ける。

 

参加目標(丹澤)

上記目的に加え、カウンセラーとして心的サポートを現地でどのように対応したら良いか、被災地の現状を踏まえ今後支援する参考にする。

 

参加者  国会議員(1名)、市会議員(三島1)(沼津2)(富士3)6名、一般11名、現地先行3名

工程

時間

場所

内容

21日(土)

7:00

三島駅北口

集合・出発(スコップ、長靴等積み込み)、車内での自己紹介

9:00

東京駅

参加者搭乗(工程確認、静岡東部の海岸線の海からのVTR)

13:00

16:00

いわき市

久乃浜

災害支援活動(現地自主ボランティアと合流)注1

作業区分:@ヒアリング班、Aがれき撤去班

17:30

石川町(八幡屋)

石川町町長と面談、ホテルで受け入れている被災者視察, 注2

21:30

八幡屋

防災に関する勉強会

22日(日)

7:00

石川町(八幡屋)

出発(久乃浜に向かう)

8:30

久乃浜

災害支援活動(現地自主ボランティア及び石川町ボランティアと合流)

作業区分:@ヒアリング班、Aがれき撤去班(動線確保)

12:30

四倉(四倉高校)

炊き出し、体育館に避難している方たちとの交流・ヒアリング。

15:30

簡保の宿いわき

シャワー休憩、帰路バス内で意見交換会

22:00

三島駅北口

解散

注1) 地震・津波等被災後原発の関係により復旧作業が遅れ震災時のままの状態。行政が立ち入らない為、現地で有志により自主ボランティアが立ち上がる。

注2)当ホテルで約200名の被災者受け入れ。泊まることで金銭的支援も。被災地の近隣でありながら支援方法が分からない(情報が少ない)所への外部からの刺激及びツナグ役割。

 

活動所感

1)現地(久乃浜)に入るまでは、途中屋根かわらが破損している民家はあるものの、車中からは倒壊等の被害はあまり見られないが、久乃浜に入り道路の向こう側(海側)は景色が一変。連日テレビ等で報道されていた荒涼とした場面を目の辺りにする。車中で見た5月2日の写真とまったく変わっていない現実がそこにあった。なぜ、復旧が進んでいないのか。ヒアリングの中で分かってきたことだが、震災後福島原発から30キロ内にあるため、避難や外部からの支援も入らず放置されている現実がそこにあった。

2)行政からの支援が受けられない中、諏訪神社の禰宜、高木氏などが 中心となり、地元の有志による自主ボランティアが起ちあがる(高木氏は某社務所に神官として勤務していたが同僚とともに震災後解雇され、被災した地元に戻る)。諏訪神社の社務所の一階部分は津波で被災していたが幸い建てや存続していたため2週間かけ活動拠点とする。(境内の石の灯篭などは津波で崩れ落ちていた。両脇の家屋は損傷がひどく再建不能)高木氏もまだ若くこの7月に結婚する予定だったがこの震災により話は流れたとの事。しかし、明るく前向きな姿に胸を打たれる思い。

3)作業を始めるにあたり、いくつかの班に分かれる。作業においては放射能を測定しつつ、ボランティアの判別がわかるような格好になる。

@ヒアリング班:住民の安否確認及び現状把握。高齢者が多いため、緊急性を要するもの、病院、移動の足等、ライフラインの状況(この段階ではカウンセリングを行う余地はあまり無い)。A復旧作業班:瓦礫の撤去(重機が入るための動線確保、下水等のつまりの除去等)釘やガラスも散乱しているため安全対策が必要。

 

4)活動を進めるなかでの発見。ガイガーカウンターで状況を把握しながらの作業であるが、現地の人は殆どマスク等もせずに普通の様子(情報が入っていない。電気・電話もしばらく開通していなかった為情報が取れない状況にあった。地域によって復旧状況は異なる。行政も立ち入らない為住民の様子が把握されていない。外部からのボランティア特に市議がここまで来たのは初めてと言っていた。殆どが30キロ地点で引き返すとの事。見捨てられ感や行政に対する不満・不信感は強く感じるが、特に落ち込む様子は微塵も出さない。心の中に閉じ込めている感じ。明るく笑う様子がいじらしい。

情報が無いことの不安や、また情報が無いことでの知らないことでの安心もあるのかと、自分の心のなかでの葛藤も湧き上がった。また、ボランティアシステムのあり方についても考えさせるものがあった。カウンセラーとしての、このような場面での自分の力の無さも痛感した。

 

5)連携・協働:比較的近い地域にいながら種々の理由で支援できない人たちが大勢いることが分かった。支援の要請や提供方法など情報の交通整理が必要な事も感じた。また、保証金や義捐金・支援物資など地域による温度差があるのも分かったし、家族や建物など失うものの大きさによって色々な感情が支援にたいして阻害しているのも感じた。今回は外部からの支援という刺激を石川町に良い形で伝え、連携・協働の良いきっかけになったと感じる。ボランティアで恒久的に支援をするのには限界もあるので、現地の人たちの自律・自立を促しながら、支援要請に対しサポートしていくという形が望ましいように感じた。そういう意味では、私たちが地元へ戻ってからの良い研修・検討の見本となると思う。継続をどのような形でモチベーションを切らさずに行うのかも重要である。また個人では当然限界もあるので、地域や協力(姉妹都市)地域、行政などとの連携がさらに必要となる。(環境システム論の理解をしておく)

6)まとめ

区分

内容

社会的視点

地震・津波・火災・原発による被災。行政対応の遅れ(安否確認、避難状況、支援物資他)

避難時の窃盗。避難所の窮屈な生活。避難所(地域)における支援の温度差。

行政・区長等の忙殺化。正しい情報が伝わらない。パーソナル・スペースがない。

生理的視点

表情は明るくふるまうものの、全体にエネルギーが無い。背中が丸まる。

夜寝られない。薬がない。行動制限、異常行動(子供に多い)。

心理的視点

インテークの段階では、明るくふるまう・・頑張るしかない(仮面うつ病のような感じ)。

子供の夜鳴き(PTSD)や集団生活によるストレスの蓄積。見捨てられ感。

避難所等でのカウンセリングは可能(聴くことの重要性)。

 

静岡に当てはめた場合の問題

@  久乃浜とよく似た形状地・・・沼津三浦、西伊豆

A  東海地震が起きた場合のボランティア的視点の対応:関東等からの支援をどのように配分・通貨させるかの交通整理は重要。特に中西部に甚大な被害がでることが予想される際、どのような対応ができるか。

B  東部に視点をおいた場合、三島・沼津・富士の責任・影響は重要なものとなる。

C  行政だけでなく、民間、市民、諸団体レベルのネットワークは重要と思われる。

                                                                                                      

 

東北関東大震災支援ボランティア日記

リプロ 丹澤

 

2011/5/21(sat) 天気晴れ

AM6:45 三島駅北口集合 AM6:50バスにて出発(沼津市議2、三島市議1.富士市議3、東京で国会議員1、

その他一般参加者)

持ち物:スコップ、長靴、作業できる服装 (軍手、ゴム手袋、マスク等は車内で配布される)

古長谷議員より、車内にてスケジュール及び今までの様子を聞く。

 

1)支援及び視察団の目的(事前資料配布)

福島第一原発から約30キロ離れた福島県いわき市。その中で最も福島原発に近い地区「久乃浜」の復旧が遅れている。地震+津波+火災+放射能リスクに苦悩する住民の方々のニーズヒアリング調査を地元の方々と協力して実施しつつ、もともと久乃浜と「海と山の交流」がある母畑温泉のまち石川町に宿泊して両地域を支援する。さらに、いわき市のボランティアや被災地の方々との交流を通じて、現地で何が起こっているのかを体感し、現地の支援体制づくりの一助となることを目指す。また、浜岡原発に代表される今後起こりうる津波や原発の災害対策を勉強する機会にも位置付ける。

 

2)現地の様子(DVD:古長谷議員が5月2日(7回目の訪問)に撮影したもの)観賞。

地震+津波+火災+原発により支援がされていない地域。震災後1ヶ月半が過ぎているが手付かずの様子が映しだされる。特にこの地域は津波が2方向から押し寄せ、街中で渦巻いていたとの事。そこに油が流出し引火したとの事。堤防が流れ込んだ津波を引き波の際中に留めてしまったようである。地形的にも東部の三浦(静浦・内浦・西浦)や戸田や土肥といった西伊豆と近いものがある。

 

3)海から東部(土肥から沼津港まで)の海岸線に沿って映したDVDの観賞。

先の現地の様子やTVなどで見る被災地の様子が外側からみることで客観的に観る事ができた。

堤防や水門等その場にいると大きい構築物なので安心感はあるが、海から見る限りなんと小さい頼りないものに見えることか。また地形等による山など高台への避難や、近隣に構築物が無い場合など外からの映像を見ることで容易に想像できた。

 

4)合流

東京(八重洲口)で国会議員含む3名と合流。

全員そろったところで、自己紹介や参加理由などを行う。尚震災支援での申告手続きをした為高速代等が無料化された報告も受ける。

 

5)マスクやゴム手袋の配布及びこれまでの支援経過の報告

マスクについては、一般に使用される紙のマスクとフィルターがついたDS2というマスクが配布された。(40歳未満の者はDS2を付けるよう提案があった)現地ではマスクをしている人は殆どいない(情報不足か、あきらめているのか不明)為、現地の人の心象も考慮するような提案もあった。

支援経過については、活動の中で別途述べることにする。

6)役割配分

車内で活動の役割分担を行う。詳細は現地の自主ボランティア本部の指示に従う。

前出の状況で行政の力があまり及んでいない為、地元の自主ボランティアとの連携活動となる。

@瓦礫撤去班

重機が入れるようにするための動線確保及び下水等悪臭を放っている所の撤去。

人海戦術である。

Aヒアリング班

ゼンリンの地図を元に、破損してない家屋を訪ね、生存確認、ライフラインの確認、必要なものの情報収集、そのときあなたはどこに居たか、1ヶ月の動きなど、今後の参考情報の収集予定。

 

7)現地到着(13:30)

途中のサービスエリアで昼食を済まし現地入り。途中の景色では屋根瓦が破損している家屋は多少観れるものの甚大な被害の様相は無い。現地(久之浜)に入り様相は一変。道路1本挟んだ海側の町並み(部落)は全壊、荒涼とした風景が広がっている。これが津波や火災の被害なのだ。

その後、現地の自主ボランティアの基地でもある「諏訪神社」の禰宜 高木さん他をリーダーとする地元の有志たちとともに活動を開始する。

私たちヒアリング班は久之浜にある岬の向こう側の情報がまだ少ないとのことで、車で5分〜10分位のところに移動。現地で2班に分かれ活動を開始する。

元は家があっただろうという形跡があるだけで海辺のあたりは瓦礫と化している。川には海から流されたと思うテトラポットが幾つもゴロゴロしている状況だ。海岸の堤防は破壊され引き波の際もとの岸壁?からはがされた様子がわかる。家屋に車が突っ込んだままの家もある。田んぼは津波で海水と瓦礫が入り込み再び田んぼとしての機能を持つのには相当の期間を要すると思われる。高台に1軒のお寺がありそこは津波の被害を免れたようである。人の有無を確認するために行って見ると、1人のおばあさんがいらっしゃった。お話を伺う訳だが、妙に明るく震災の心的ダメージは感じられない。話を聴くと、震災後停電・断水等でライフラインが途絶えたとの事。幸い水の蓄えが寺への階段下にのこって居たのでそれをくみ上げたとの事。お年寄りの力では大変だっただろうに。

我々に対し愚痴を言うわけでもなく、逆に訪問したことへのねぎらいをかけてもらったりもした。

その後人が住んでいそうな建物を訪問し、状況や必要なものを聞いて回った。この地域では区長さんが色々面倒を見ているようで「区長様」という言葉を何度も聞いた。行政に関しては情報もあまり入らず、行政への不満や見捨てられ感が強く感じた。

途中檻に入った痩せこけた犬がやたら吠えていた。警戒をしているのだろう。また、放し飼いの犬が寄ってきて、首輪のところに「鶏の番犬です」と紙が貼ってあった。人懐っこい犬で私たちが帰るまでずっと後を着いてきた。ちなみに毛並みは汚れ、痒いのだろうかたびたび足で身体をかいていた。

若い人の姿は殆ど見かけず、のこっている人は老人がほとんどであった。ある家のお父さんは屋根瓦の補修をしていて、ここまで津波が来たと話してくれた。たまたま下方にコンテナがありそこで津波の流れが変わったとも話してくれた。流れが向いた家は壊滅していた。ひとつのきっかけで運命も変わるのかと思った。

この間、禰宜の高木さんが一緒に動向してくれたのは助かった。実際、避難中この地域が無人化となったため、多くの盗難被害にもあったそうだ。警察のパトカーも巡回はしていた。

見知らぬ人が急に訪ねるのもこのような状況であると問題があると思った。

※「はまどおりの風」 福島の広田さんのブログでは状況やボランティアの事が載っています。

 

8)移動

16:00に一旦作業を中止し移動のために、諏訪神社に戻り簡単な報告を済ます。

このあと、石川町に移動。石川町は久之浜から車で1時間半位離れたところにあるが、なぜ、この地が宿泊地かというと、それなりの理由がある。まず、久之浜と石川町はもともと“海と山”という関係での交流があったということ。

次に宿泊する旅館も避難者を200名位受け入れているということ。静岡の伊豆と同様に観光客が来ないため経済的にも大変だということ。ここへ泊まることで少しでも金銭的支援につながると言う事。先の近隣の他地域の連携をどうして行くかという事。そういう種々のプランを古長谷議員が先立って提示しておいてくれた為、ホテルには石川町の町長初め役場の人たちが出迎えてくれ、そこで意見交換会の場が持てた。

結果、翌日の作業には石川町から約40人(マイクロ2台)の支援ボランティアが結成できた。行政間の連絡もままならず、支援の意識はあるものの、どう行動してよいか躊躇していたとの事。静岡よりの支援ボランティアが良い刺激になったとも話してくれた。

古長谷氏いわく、『ボランティアで恒久的な支援は難しい。近くの資源を使うことで、協働・協力の場を作り、必要な部分のサポートをボランティアで補うことが望ましい』と。

 

9)勉強会

短い時間だったが、食事と入浴を済ませ、9時30分(予定は8時30分だったが)からロビーのテーブルで勉強会を行う。今日1日の感想や気づいたこと、また今後に活かすことなどについて。

それぞれの持分の視点からの意見がでて参考になった。各議員は行政の視点からの意見が多く、このように働きかけてもらうと市民が安心すると感じた。建築関係の参加者も多く、撤去や再建について専門的な意見も数多く聞くことができた。新しい発見でもあった。私個人的には、カウンセラーとしてメンタルサポートを基盤においていたが、今日の様子ではそこまで踏み込めない状況でもあった。ただ、ヒアリングの中でも辛さを見せない力強さとともに、奥深にしまってこれから大丈夫だろうか、という2つの想いが交差していた。「マズローの欲求階層説」ではないが、まずは生存欲求からであろう。ライフラインの整備が早急に望まれる。

明日も早いので、11時に学習会は終了とする。・・・・爆睡(いびきが何人かいたが・・・)

 

※この日記に合わせ写真を見ると多少分かりやすいと思います。

 

 

2011/5/22sun)天気 曇りのち雨 風強し

AM7:00 旅館を出発。今日は私たち静岡グループ以外に石川町の40人が参加の為、マイクロバス2台を加え、バス3台の強力なボランティアとなるであろう。一路、久之浜に向かう。

 

1)集合 8時30分(諏訪神社)

諏訪神社境内(石灯篭が倒れたり少なからずここも津波の被害を受けていた)で現地スタッフも含め60人強の人員がそろい、本日の作業の説明及び分担と責任者の発表が行われた。(昨日から事前の打合せができていたので班編成等スムーズに行われた)

久之浜の瓦礫撤去(動線確保)に40人、四倉地区への応援に10人、ヒアリングに6人。

久之浜地区については昨日の実行部隊が新しい部隊の指導を兼ねることになった。狭い道の為バケツリレー方式の撤去作業。四倉地区は建物の損傷はここほどではないが、多くの避難者が居るところでもあり、下水のつまりなどで異臭を放っているところの撤去作業。ヒアリングはまだ未開拓の部分の対応ということである。

2)活動(ヒアリング)

小高い丘の上の新興住宅地。頂上のあたりに特別養護老人ホーム「翠祥園」があり、ここには何人かの利用者がいるということなので、行って話しを聞いてみる。理事長が不在の為、一旦車を駐車させてもらい近隣の住宅にヒアリングに向かう。

途中海風が強く、雨か波の飛沫か分からないが冷たいものが顔にかかる。長袖は着ているが身体がかなり冷える。ガイガーカウンターで測ると1マイクロシーベルトの値を示す。風の高さによって1〜3マイクロシーベルトあたりで針が振れる。

不在の家も多かったが、尋ねて色々な話を聞かせてくれたお宅も多かった。最近になって1人2人と人が戻ってきているようだ。ちょうど今帰って来たという人や、昨日帰ってきたという人も居た。

細かくは色々あるが、まとめると「情報が殆ど入らない(電気や電話などの問題、行政からの連絡)為、今どうなっているのかが分からない。放射能という見えないものに対する不安や先行きの事を多くの人が語った。

地域ではたまたま、班長さんと話ができ一応の戸別把握はしているようだったが、あくまでこの地区の範囲のことで行政がらみではない。支援物資も殆ど届かず孤立感を誰もが感じていた。

昨日のヒアリングも含め、私たちボランティアに対する評価は「よく、ここまで来たね。今まで議員レベルでは1人も着ていないよ。みんな30キロのところで人も支援物資も引き返していくだよ」と、自分達のことより、私たちの心配や慰労の言葉が多かった。また、この現実を伝えて欲しいという声も同様に多くの方から聞いた。

雨も本降りになり体感的にも相当冷え込んできたので、先ほどの特養に戻り話を訊いてみることにする。

 

3)特別養護老人ホーム

まずは、トイレを貸してもらう。被災地はどこでもそうだがトイレが無い。避難場所等大勢が居る場所は簡易トイレ等設置されることがあるが、この地ではまだそこまで対応ができていない為、ボランティアに出かける際にはその辺も事前チェックが必要である。

理事長室に通してもらい幾つかの質問や話を伺う。(男性理事長と女性のグループ長?)

「翠祥園」築18年、定員85名の施設。認知症や身体の不自由な高齢者多数。

以下その話の概要をかいつまんで。

3月11日地震後屋内のスプリンクラーが作動し室内が水浸しに。同時に停電と断水になる。

利用者を濡れないところに移動し、利用者の安全に努める。器具の移動や食料の確保等々。

夜になり利用者に動揺が広がり落ち着かなくなる。この日の体制は夜勤者4名と施設に残っている職員のみ。

ろうそくで明かりを灯すも不安な状態が続く為、車を中庭に入れ建物側に向け一斉点灯。明かりがついたことで不安状態の緩和が図れた。翌日から職員連絡が取れた者から、夜勤体制を8人に強化、また看護士も当直してもらう。食料は保存食あり、水は近くに水源があったためそこから汲み出し。ライフラインは依然復旧の目処立たず。

近隣のデイケアの人など一時はこの施設に120人位が居た。この間の情報はラジオのみ。

市からの支援等は特になし。

3日目(13日)朝のミーティング終了後、行政からの応援部隊が来る。地元の消防団も協力してくれ、利用者を他地域の施設や病院に搬送。9時過ぎからはじめ午後3時にはすべての移動が終了。

いわき市内にある特養14施設のうち、ここだけ対応してくれたとのこと。

5月のGW後、この施設にも人が戻り始め今に至る。

各市議の質問のあと、カウンセラーとしての立場から今までの行動の良かったことや改善したいこと、また気持ちを聴いた。担当者の責任感の中での行動だったと思うが、今まで溜まっていたものが(感情表出)涙となって現れた事に、この地域特有でもある忍耐強さも改めて感じた。

4)久之浜視察

一旦、諏訪神社に戻り、被害の大きかった海辺の状況を視察。ここでの問題点は堤防の形状にあった。海側からなだらかなスロープになっている為。津波が勢いを殺すことなく堤防を乗り越えてきたことである。そう、ちょうど沼津の千本浜の堤防や浜岡原発の海岸地形のように。入った津波が引波の際出口を無くし中で瓦礫とともに渦巻いていく。そこに可燃性の油か何かに引火するとそこは水の上の可燃物が燃えより被害を拡大していく。

専門家でないから詳しいことは分からないが、地震に壊れない建物、津波を食い止める防壁、入った津波を戻せる何かの対策、壊れない原発(いまさら)、万一破損したときに対処できる方法等々も行政側では考えていかないといけないと感じたし、一旦災害が起こったときにどのように復旧するかという、個人、地域、団体等と行政が一体化したモデルのようなものが必要と感じた。特に情報の偏りや人や物資も含めた交通整理の重要性も改めて痛感した。

この荒涼とした瓦礫の中に1棟の小さい神社が残っているのは奇跡に感じた。石垣など土台も削られ、鉄でできた鳥居も倒れているが社だけは残った。これを奇跡と言わずなんと言うか。少しでも希望を持たせる社である。

 

5)四倉高校 (いわき市立四倉高校:高校生は授業。体育館等に被災者が暮らす)12:30〜

ここで、地元の人や被災者の方たちが貴重な支援物資の中から炊き出し(本来は私たちが炊き出しをする予定であった)をしてくれた。トン汁とおにぎり。食事も味も温かいものでした。ありがとう御座います。ご馳走さまでした。

その後体育館の内外で避難している人たちから色々な話を伺う。

なかなか支援物資が来ないこと。地域によって格差、温度差があること。また支援物資を盗んでいく人。避難所内でのコミュニケーションの事や、ストレスの事。行政の支援物資を運んでくる人の態度の事。避難場所から出て行く人。出るに出れない人。色々な出来事や感情が入り混じり、相当なストレスが溜まっていることは間違いない。

メンタルケア的に考えると、大丈夫とは皆さん話すが、話す環境や場面の問題があることは想定できる。これらの環境を整えることで、カウンセラーの出番も増えるのではないかと感じた。

現地で子供の夜鳴きや何かに対する不安(PTSD)も診られた。サイバー・ギルド的なものには遭遇しなかったが、いずれにしても心的に問題を抱えていることは間違いない。ある段階やステップの中にこのような対応を組み込めるともっとシステム的に対応ができるとも感じた。

 

6)分かれ 14:00

ここで四倉の方や石川町の方ともお別れし、途中カンポの宿でシャワー休憩をとる。

途中橋が通行止めでもあり若干遠回りをよぎなくされた。このカンポの宿も被災者を受け入れているようで(入浴に関し)駐車場は満タンであった。

一応シャワー等で汚れや汗を流し復興支援のお土産を買いバスに戻る。

 

7)シェア(車内)

今回の活動についての振り返りを車内で行い、今後の活動をどのようにしていくかなど話し合う。

連絡対応として“メーリングリスト”の提案があり、情報の交換や発信に向けていくことで一致。

※ 古長谷 稔 著「放射能で首都圏消滅」は勉強になります。(授業でつかっている先生もいました)

夜10時に無事三島駅北口に到着。解散。

 

 

 

おまけ

ボランティアに関する考察

何か役に立ちたい。何かしなければいけない。そういう思いはあるものの、どうしたらいい?という現実的な壁があった。ひとりよがりかも知れないが、いきなり行っても邪魔になるかもしれない。かえって迷惑をかけるかもしれない。

何をすればよいのだろうか。どこに相談すればよいのだろうか。

これが最初の問題であった。インターネット等では支援ボランティアの窓口はいくつかあったが、一番多いのが義援金の受付と現地での労働力。この時点で、できれば自分の能力を支援できればより効果があると思っていたのはカウンセリングであった。震災当時、県や富士市の教育委員会の仕事をしていた為、よりスムースにカウンセリングの提供ができるかと、支援参加の申し入れをしておいた。しかし、現実には回答なし。沼津市の窓口にも行ったが、前出のような状況。そのうち、沼津での窓口は終了し、県に社会福祉協議会に一本化されたと言われた。

社会福祉協議会のホームページを見るも、前出と変わらない。

そんな処に、古長谷議員の活動を耳にして、無理やり参加させてもらった。

今回の支援活動は単なる人工の支援ではなく、ボランティアをどう考え、また地域にどう還元するかというものであった。ただ単に気持ちの上で助けるだけではなく、自分に身の回りや、地域、被災地などで有効に活動できる基礎となるものを沢山学ばせてもらった。

普段職業が、個人や家族対象のミクロレベルでの活動が主であり、今回のようなメゾレベルやマクロレベルでの活動はさすが政治家と思わせるものであった。ただお金だけでなく、人を各レベルで動かす政治力のようなものを学ばせてもらった。良い意味で相談者の生活や環境・心が豊かになるために、今後とも参加した市会議員さんには力になってもらいたいと思った。

また、カウンセリングではよく「場面構成」の話をするが、まさに今回のような形でのインテーク(導入)は難しいと感じた。これらもある程度環境が整わないと難しいのかも知れないし、自分のスキルの足りなさも痛感した。

一旦、話を聴くようになれば当然、ロジャースの来談者中心療法は効果的であろうが、そこにいくまでのプロセスでは他の療法(短期療法や催眠療法の導入部分など)の方が有効に使えるような気もした。これはこれからの自分の課題でもある。

国籍や文化、地域、宗教などの異なる対応なども、今後また勉強をしていくべきかと感じた。

この体験を通じて、今の自分に出来ることを見直し、志を同じくする者とのさらなる研究や学習・体験を行い、もっと支援できるようになることを心がけていきたい。

 

 

最後に、この記録は丹沢のまったくの主観的なものであり、詳細の誤解をまねくこともあるかも知れませんがご容赦ください。素人のみたまま・感じたままの記録です。             

 

 

                                                        平成23年5月26日記

リ・プロデュース・タンザワ

SCAN若葉

代表 丹澤 潔

 

 

2011/7/24

 

福島いわき市久之浜地区復興支援ボランティア弾丸ツアー

見たまま感じたままレポート

 

平成23年7月24日(日) 朝3時50分。復興支援弾丸ツアーのメンバーが沼津グルメ街道の「万葉の湯」駐車場に集合。「万葉の湯」さんのご好意で16台の駐車券を頂いた。今回は総勢33名の参加。三嶋観光の大型バスに乗り込む。今回の参加者のうち、半分以上の方が初参加である。

参加者は、三島が圧倒的に多く、次いで沼津・富士・長泉町・清水町・函南町・静岡市など以前に比べ、地域色が濃くなった。それ以前土日など連休を使って一泊で行っていたが、仕事を抱えている人も多くなかなか行きたくても行けない状況にある人が多かった。そこで、日程は少々きついが「日帰りで丸一日ボランティア活動をしよう」ということになったことにもあるだろう。

 

目的地までの移動中、バス内では参加者の自己紹介や、これまでの復興支援の活動状況や、現地に復興状況及び福島原発から25kmという状況も踏まえ、「取り残された町」の状況や、原発や放射能に関する情報などがアナウンスされ、事前情報のお陰で初参加の人も安心して活動できる態勢であった。特に、この会の主催者でもある古長谷(三島市議)君は十年以上も前から原発と関わっているのでその話は興味深くもあり説得力のあるものでもある。これだけでも参加した価値はあると思う。

 

 朝9時に久之浜に着き、早速現地の支援センターでもある諏訪神社境内に集合する。私たちグループ以外にも県外からの個人やグループ参加のボランティアもいて、総勢50名の支援集団となった。(他グループの集結に若干時間がかかるとのアナウンスがあったため、初めての参加者を今まで何回か支援に来た人達が状況を交え被災現場を案内する。一同その凄惨さに言葉を失うが、以前に比べ格段に状況は改善されており、車の通行もスムーズに行われるし、異臭も殆どない。瓦礫もかなり移動・分別され重機も数台入っている)

 

現地の自主ボランティアの代表から、本日の作業場所と作業内容がアナウンスされ早速活動に入る。今回は海から数十メートルのところにある2階建の家屋内の瓦礫を撤去し、作業終了次第もう一軒の瓦礫撤去というスケジュールである。今回は特に女性の参加も多く、肉体作業についてこれるか心配もあったが、女性ならではの台所の処理やこまごまとした部分の対応など参加者の特徴を活かした作業となった。

最初のアナウンスでもあったが、無理をせず、出来る範囲での活動と、混成ではあるがチームとしての協働体験の場でもあった。現地チームからの休憩タイムの号令合図や、水分補給の指示や怪我等の状況確認など、以前と比べ格段にボランティア団体の体をなしていた。これも体験から学んだことであろう。

私はというと、瓦礫撤去作業を行っているなかで、「話を聴いて欲しい」という依頼が2件入り、午前と午後と各1名ずつの面接相談を行った。詳細は守秘義務もありい得ないが、一応に「話せて良かった」「聴いてもらえてよかった」「気が楽になった」と笑顔に変わった。やはり狭い地域や町などでは言いたくても言えないことや、仕舞い込んでしまうものなど溜めていることが多いいと感じた。少しでも吐き出せて貰えたら思う。この部分が外部からの専門知識を持っている人達の重要な活用意義であろう。

 

 途中、現地スタッフの計らいで、数班に分け3月11日に記録された写真などを現地スタッフの解説を受けながら視聴することができた。県や市では復興段階において瓦礫撤去など一応一段落ついたとの見解で瓦礫撤去に関する団体ボランティアの募集を終了することになったと発表。しかし、ここ久之浜の現状を見ると同見ても瓦礫撤去が終わったとは思えない。ここにも現状と行政の温度差はあるようだ。しかし、モノは見ようで、今まで久之浜に来なかったボランティアがホームページやその他メディア・口コミなどで、直接の支援申込みが増えたとの事。複雑な心境だと漏らした。

 

現地スタッフからは、以前に比べ格段に人(支援)が入るようになり、土日以外にも平日の支援者が増え復旧に向け一歩づつ進んでいる実感はあるとの声を聞いた。行く度に聞くのは、「とにかく一度観に来て欲しい」「この現状を観て、他の人に訴えて欲しい」である。他地域の人との交流で元気を貰うこともあるだろうし、行って初めてこの現状を観て自分自身で感じることも多い。「百聞は一見にしかず」まさにその通りである。この気持ちを、支援に向けたり、地元での防災に活かしたりすることも重要と考える・

今後、復旧が一段落したら、住民の心の整理を含め、心を一つにして生活基盤を作りたいとも話していた。地域の色々な問題を行うにあたり、人的ネットワークがまず必要となるが、例えば社会福祉士などソーシャル活動の専門知識を持った専門家がいるが、この地域には一人もいないとのことで、今はこの役割をケアマネージャや民生委員がおこなっているとのこと。この辺も心的サポートのカウンセラーを含め資源投入をする部分でもあろう。次は経済支援となるだろうが、キャリアや経済などの専門資源の支援も含め、まだまだ道は険しい。

 

この日の作業は、結局1軒にかかり終了してしまったが、少なくとも参加者全員、やりきった満足感があった。

さすがに、帰りのバス内は縛睡であったが、その中でも時間を惜しんで、原発や防災のミニ学習会が行われ、ある意味、復興支援・地域防災体験学習会のOJTのようであり、とても良い体験ツアーであると感じる。

バス内でのDVD「東京原発」も以前三島の文化センターで観たが、改めて観るといろいろ気づきもあり面白く観ることができた。ちなみにレンタルショップ店にもおいてあるようなので、是非一度観ることをお勧めします。

 

以上、私の自己中てきなレポートでした。

リ・プロデュース・タンザワ 代表 丹沢 潔 (カウンセラー) & SCAN若葉

12月のレポートはまた後日いたします。

2011/10/7

リプロ新聞

 

SCAN若葉の非営利団体化の進展状況

平成23年12月23日にNPO化を踏まえ、任意団体として「静岡こころのサポートセンター」を設立いたしました。

運営委員会を設置し、事業部会・学習部会と、今なにをなすべきか、何ができるかを検討しています。

今年度は、昨年に引き続き、福島への支援や学習会による会員のスキルアップを中心に行う予定です。

 

福島いわき市久之浜にいってきました

 

2012/5/5

 

福島いわき市久之浜復興支援ボランティア

 

あいにくの天候でしたが、4日の祭り(神輿)は雨もパラパラ程度で無事神事をおこなうことができました。

時折激しい雨が降るなか、私たち一行を乗せたバスは、美空ひばりの「みだれ髪」でも有名は塩谷岬を経由して久之浜に入りました。

昨年の10月では、道路が通行止めで行けなかった場所です。途中、海岸近くの学校のグランドやプールに瓦礫が山積みになって処理されていない状況でした。

 

 

「がればな」(瓦礫に花を咲かせましょう)がこの辺の防波堤や被災された塀などにも描かれていました。

現地久之浜での目的のひとつとして、普段は行わないそうですが、宵祭りとして、富士の「竹かぐや」の催しを行いました。

これは、竹の中をくりぬき、そこにろうそく入れ火灯すものです。とても幻想的で癒されます。そこでも幾つかのドラマもありました

 

また、今回三島の若者のバンド「ミシマ340」のライブも同場所で行われました。3人組のとっても良い若者です。

ちなみに今日5日に三島でライブやってます

5月27日(日)三島楽寿の森音楽祭にも参加しています。

 

 

 

夜は交流会を行い(地元との、参加者との)ました。女性は諏訪神社社務所で、男性は久之浜公民館での宿泊です。

イベント開催までの間、イベント会場作りや、初めて現地に参加された方たちは被災地やJビレッジへの視察を行いました。

会場では、婦人会の方たちがトン汁やおにぎりを作っていただきました。(私は、あじの開きをひたすら焼いていました)

 

翌日は、諏訪神社に集合し、4つの神輿を石川町はじめ多くのボランティアの方や地元の魚港の青年部の方たちをはじめとする皆さんと神輿を担ぎ町内を練り歩きました。

(これがかなり重く、動くスピードも速くしんどかった)

今年出来なければ、来年以降は無かったという宮司さんの言葉が胸にしみた。

神輿の神事終了後に「なおらい」を行い、参加者との意見交換や交流を深めました。

 

今回のボランティアでは、現地の意識が以前より確実に前に進もうという気持ちが感じられたし、個々には色々なニーズも訊くことができた事を感じています。

一日も早く、地元の人たちによる、地元の人たちのための復興をお祈りいたします。

そのために、私たちに何が出来るのか、を考え、行動する良い機会です。